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ふっと記憶の旅に出た夏風馨です。
こんばんは。
昨夜ニュースを観ていて、今日だと気付いた。
忘れは決してしないのだが。
勿論自らが実際に経験した訳ではない。あの時もテレビの前で幼心に呆然とした記憶がある。
阪神淡路大震災である。

年月の過ぎるのは速いと思った。
小学生だった私が社会人になっている(それも、かなり遅くなったが)。
私にとって、忘れえぬ事件と言ったら阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、雲仙岳噴火の3つを挙げるかもしれない。後挙げるとすれば、奥尻島の地震、津波である。津波と言うものの威力脅威を初めて知った災害だったからだ。
他は記憶として新し過ぎてまだここに入れるものじゃない気がして。
池田小無差別殺傷事件とか、9・11同時多発テロとか、
逆に言うと、日航機墜落や幼女連続誘拐事件、更には湾岸戦争は遠過ぎる。他人事の記録的な記憶なのである。
まぁ強いて言うなら幼女連続誘拐事件に関しては当時まさしく幼女であった。
ご近所で大変心配されたらしい。
当時“は”可愛かったからな。うん。

話が逸れた。
阪神淡路大震災はそれまで絵空事……では流石にないが過去の記録、歴史としての関東大震災くらいしかイメージのなかった地震の恐怖を一気に現代の現実として私に突きつけてきた出来事だった。
地震は勿論怖いものと言う認識はあったが、正直に言ってあくまでイメージでしかなかったのである。
今でもあの時の戦慄は忘れない。
映像を見る度に思い出す。
その後も何人かこの大震災に遭った方には何人かお逢いしたが、矢張り彼らの経験は重みが違うと思った。
少なくともこれがきっかけで医師になろうと思った、と一念発起した方に逢った時に医師になろうと思った理由を問われて言葉が出なかったのを覚えている。
彼女に言えるほどの理由が自分にはないように思えたからだ。
あれはずっしりと重かった。

地下鉄サリン事件も同じ1995年だった。
あれもまた衝撃だった。
その後の類似事件や色々な事があって……。
私的ではあるが、友人のお父さんも一連の事件に巻き込まれ、彼女の人生にも非常に深く関わった事件になった。
私にとっては幸いにも他人事ではあるのだが、矢張りこれもまた忘れる事のできない事件だ。
文章にしろと言うと意外と難しい気持ちが渦巻いてしまう。
あの新興宗教は私のいる業界にも結構信者がいた。
無力感を味わうのは医療関係者にとってはほぼ当たり前と言って良い。
それが真面目であればあるほど、恐らく救われない絶望感を多かれ少なかれ味わうと思う。
自分もこの業界に入って少ないながらも矢張り感じることがあって、人のいないところで泣いたことがあった。
情けないのですがね。
それが間違った方向へ導かれたのだというのがこの新興宗教であり、その知識が悪用されたのがこの事件だった。
医学は人を生かす、とはおこがましいが、人を救う学問。
しかし、人を救う知識は逆を返せば人を傷付けることのできる知識だと、改めて実感する事件だった。
勿論、思い返せばですけどね。

そして、最後に雲仙普賢岳の火砕流。
1991年だから、まだ私は小学生で、当時幼馴染の兄妹が遊びに来ていて、その2人と一緒に見た記憶がある。
忘れられないのだ。
あの黒く炭化した遺体を。
生中継で、モザイクを掛けるとかいう芸当ができなかったのか、それともそれが遺体と認識されなかったのか。
それは解らないが……助けを求めるように手を前に出して逃げるような足の形をしたまま黒くなった人間の躯が上空から映されていた。
絶句した。
今思い出してもやっぱり恐ろしさを覚える。
自然の怖さだと思う。
その後の映像は遺体にモザイクやぼかしが入っていたのも覚えている。
まだ9歳だったのに、こんなにはっきりと記憶が残っている。
恐らく他の記憶なんかよりずっと鮮明だ。

思わず今日は真面目な記事。
流石に1.17に楽しい事とか書く気がしない。
どうしても思い出すことが多過ぎる。


☆私信☆
そして、そんな今日は大切な友人の一人の誕生日。
貴女の誕生日も一生忘れないよ。
誕生日おめでとう!
貴女にとって28歳がいい年でありますように。
またいつか一緒に遊びましょう。
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